鷺 舞

京都・八坂神社本殿前において
【鷺舞の歴史】
ずばり、雌雄の鷺が、優雅(と、鷺舞を紹介する本ではそう形容してますが、やっている本人達の意識は?)に舞う京都の夏の風物詩です。
中国に伝わる牽牛織女の七夕伝説に取材したと言われ、二人の逢瀬を助けるためカササギが羽を合わせ、天の川に橋を渡したというところを舞にしたようです。
日本の芸能には「かまけわざ」と呼ばれるものがあります。即ち、相手に感染させるという芸能です。獅子舞は中国から伝来の伎楽の獅子(四本足)のものと、日本古来の二本足のものとがあります。四本足は日本では猪(ゐのしし)と考えられ、二本足は鹿(かのしし)と考えられています。各地の鹿踊がそれです。これらは害獣で踊りや舞を舞って、人間に帰順し、田畑を荒らさない事を誓うのです。これを実物の猪や鹿に感染させようとするのが「かまけわざ(感染芸)」です。
鷺舞も同じ事で、神聖さを表す「白」を基調としていますが、神が舞い降り、土地清めをすると思われていますが、それは誤解というものです。京都の鷺舞は良く御覧になると頭に朱の傘をつけています。これは京都の人々が鵲(カササギ)を見たこともなく(山口県以南では見られます)、牽牛織女の七夕伝説で鵲という鳥のいる事を知り、「かさ鷺」だからと、傘を付けた鷺を洒落で作り上げた訳です。
世界各地で害を及ぼす害鳥が人間に帰順すると誓って舞うのが本来の型で、京都では美化されて祇園祭りで神事となっています。
「鵲鉾(かささぎぼこ)、その周りを二羽の鷺が舞う・・・」祇園祭を題材にした屏風にこのような絵が見受けられます様に、昔々、「鷺舞」は確かに祇園祭と共にありました。祇園祭を題材にした狂言「鬮罪人」のなかにも「鵲鉾」の名が出てきます。有名な津和野の「鷺舞」は、この京都の祇園会から伝わったものです。地方にまで伝わった鷺舞...ところが本家本元、京都の鷺舞はこれまた昔々、中絶してしまいました。
現在の鷺舞は、KGKK&伊呂波会の師匠、木村正雄師が中心となって、昭和31年7月24日に復活させたものです。そして今に至るまで、この京の夏の風物詩が、根っからの地元民とは言えない、KGKKの学生達によって毎夏演じ続けられているというわけです。
【実演状況】
本番は、7月24日の「花笠巡行」(山鉾巡行という祇園祭のクライマックスを一週間も過ぎた後なので、知名度は地元でも低いのが現実です。)時に、八坂神社舞殿前において、八坂の神さまに奉納する形で行われます。これ以外にも、16日、17日の夜などに、神社前の交差点を少し鴨川寄りに行った四条通りや、鴨川の三条河原などで舞いますが、こちらの方が宵山、宵々山などと重なるので、より大勢の人の前で舞うことになります。
他にも、毎年6月の最後の日曜日に京都駅地下街「ポルタ」で舞ったり、また全国各地に呼んでもらったり、各種博覧会や、民俗芸能公演などの場で鷺舞を京都以外の人たちにも公開してきました。
行事予定(時間は前後することがあります)
7/16(宵山) 18時 八坂神社本殿前で奉納
7/17(山鉾巡行) 16時 八坂神社本殿前で奉納 →巡行→
18時 三条大橋のたもとで舞を披露 →巡行→ 八坂神社
7/24(花笠巡行) 10時 八坂神社出発 →花笠巡行→ 12時 八坂神社着
13時 八坂神社本殿前で奉納

“祇園さん”こと八坂神社。
【稽 古】
6月中頃から、八坂神社の社務所に夕方三々五々集まり、狂言の稽古と共に鷺舞の稽古に励みます。網谷師や先輩から、後輩に舞の所作を教えていく形を取りますが、その前にまずは役決め。ご存じ鷺役の他に、舞の庭に最初に登場し、場を清める赫熊(しゃぐま。棒振とも)役や、鷺の後方で二人対称的に舞う羯鼓(かっこ)役の中から各自選ぶ..というよりは網谷師におだてられつつ、なんだかんだで選ばれてゆきます。
赫熊役と鷺役は男の子(赫熊はシースルーの衣装を着るし、鷺はとにかく体力仕事なので)、鞨鼓は女の子から選ばれ、また特にジャンプ力がある人、手が器用な人、一人でもあがらない人なんかが赫熊に選ばれます。だから必然鷺役は、別に優雅に振る舞うとかでなく、消去法で選ばれてたりするのが内実です(言い過ぎかな)。とにかく鷺は、見かけ以上に体力重視。また鷺には雌雄のペアで舞うので、若干組む人は雄役の方が雌役の人より背の高い人となります。舞の中身は雄でも雌でもほとんど一緒なので(最後の決めのところがちょっと違うだけ)、組み合わせにより雄役をやったり、雌役をやったりします。
【舞の紹介】

二人の赫熊
場の祓い役の赫熊はまず、四方の角(二ヶ所)で棒を跨いで飛びはねます。地に潜む悪霊を追い出します。そして真ん中で囃子にあわせ、3〜4種類のパターンで棒を回します。囃子の調子のスピード・アップとともに棒の回転を早めてゆき、最速で回した後、また囃子のスピード・ダウンに伴い、違うパターンの棒の回し型に移行していくわけです。そしてラストは、音楽のストップと共に高くジャンプして、棒と体との間に両足を前後に二回通します。これが出来る出来ないで、赫熊の役か鷺の役になるかが決まるといっても過言ではありません。見事に決まれば、大きな拍手と共にお役目御免、鷺にバトンタッチとなります。あ、失敗!..の場合でも、暖かく見守ってやりましょう。
鷺は、「1,2,3,4」のリズムにあわせて、片足一本で爪先を立て、羽根を広げつつ舞います。円周上を舞いつつ移動しますが、常にもう1羽と、円の中心より対称的に位置をとってゆきます。そして最後は、正面に向かって雄鷺が雌鷺の肩に優しく羽根を遣りながら、二羽で大きく伸び上がります。

向かって、右の背の高い方が雄鷺、左が雌鷺
確かに、端から見れば優雅・・かもしれませんが、何度も言いますが、これは体力とバランス感覚の要る舞です。まず一番はじめに、随分重い羽根を片足立ちで大きく広げる瞬間が、鷺役にとって一番気になる所であります。たいていは、ぐらついてしまうんですよね。腰の入れ方が十分でないばっかりに。この点こそ、木村師がKGKKに鷺舞をさせるミソかもしれません。鷺舞は、能や狂言など、腰を入れて移動する芸能の修業には、うってつけとも言えましょう。「ああ、道路って水平じゃないんやな」と思う瞬間もこの時。段々と、片足と羽根広げのタイミング、力の入れ方、バランスの取り方を体得していくんですが、ちょうど体得しかけた頃には、疲労がやってくるという、中々しんどい舞であります。
鞨鼓は、雌雄の鷺の後方それぞれに位置し、腰に鼓、手にばちをもってほぼ一定の場でクルクル回ってたりします。赫熊や鷺に比べて楽そうなんですが、鞨鼓を演じる人、つまり女子に言わせれば、順番を間違えると、常に二人対称的な動きなんだから、すぐ(間違いが)ばれると、ことさら鞨鼓役の大変さを強調して居りましたが...あんまり説得力はありません。
舞の見所は、やはり羽根を広げた時の姿ですね。この一連の動作の時に、腿が直角にすっと上がり、また足先が綺麗にピンと整っているかが、演じる側、見る側のポイントと言えます。

【鷺のパーツ】
鷺のパーツは、だいたい大きく頭(かしら)・両羽根・背中・尾と分かれていて、本番前に紐でくくったりして、プラモデルのように組み立ててゆき、みな繋がったらランドセルのように背負って、紐を体に巻いて固定します。鷺パーツの材料は、厚紙のようですが、それぞれのパーツは、くじらのひげで一枚一枚組み合わされているとか。大変高価らしいです。
鷺頭には「カササギ」ということで、可愛くて、ちょっとぼろっちい”傘”を取り付けてやります。また、頭をよく見ると分かるのですが、雄の口は閉じていて、雌の口は開いています。この理由は、言わなくても結構ですね(全国の女性を敵にまわしてしまう・・・)。羽根は、津和野の鷺に関しては、1本1本棒状で肩の中央で結んでありますが、京都のは、もっと写実的で、よく見ると一枚一枚うろこみたいです。羽根を広げた感じも、実際だいぶ違います。京都でも復活した当初は津和野と同じ型の羽を使っていたのですが、木製のため大変重く、写実性と労働の軽減を求めて現在の型になりました。
もう一つの注意点として、鷺の左腰にご注目。赤い鞘の刀が腰に差してあるのですが、おわかりでしょうか。帯刀が許されるにはそれなりの身分が必要です。この鷺自体、祭の中では、とても神聖な存在、それこそ天上からの使者とも言えましょう。そういった鷺の“格”が、この帯刀という事実からもおわかりになると思います。
【鷺舞の囃子(音楽)】
音楽の囃子は残念ながらテープなんです、実は。本当は随時、生演奏できたらいいとは思います。謡は、木村正雄師とこれまた大蔵流狂言方、茂山千之丞師の二人で、得意の高音(狂言方の中では、この二人の音域が一番広い)を響かせ謡っています。歌詞は「橋の上に降りた。鳥は何鳥、カササギの、カササギの、ヤァ、カササギ、鷺が橋を渡した、鷺が橋を渡した。時雨の雨に濡れじとて、ヤァ、カササギ、鷺が橋を渡した、鷺が橋を渡した。」となかなか洒落たものですが、この歌詞は狂言「煎物」の中にも見受けられたりしますし、また今は山口と佐渡にわずかに伝わるとされる鷺流という狂言の流派(今の狂言界は、大蔵流と和泉流の二流で占められています)名の由来とされる狂言「鷺」(現在廃曲)にも、ほぼ同様の囃子があったとされています。ちなみに囃子は京都の囃子方にお願いしたということです。
なんだかんだと、鷺舞と狂言は共通項を幾つか持っている様です。
【最後に】
最近の京都(の祭)を紹介した写真集なんかには、一緒に巡行したりする「祇園田楽」(こちらは奈良の帝塚山大学の皆さんが演じていられます。)と共に、この鷺舞も取り上げられたりしますが、如何せん戦後復活された舞であり、京都の人にすらあまり知られていないというのが実情です。今でも「あ、つるや」とか、「あ、ガッチャマンや」という小さい子の言葉が無常にも響きますが、いずれ祇園祭の名物となっていくでしょう。祇園祭のときは鷺舞だけでなく、数日にわたって行われる奉納狂言会もあり、KGKKの大きな活躍の場となっています。

「鷺舞&祇園田楽をよろしくね!」