分 類:小名狂言 太郎冠者物
登場人物:太郎冠者(シテ)、主、水破
あらすじ
清水寺の縁日なので、主人は太郎冠者に太刀を持たせて参詣に行きます。お堂に篭って寝ていると、水破が現われて、太郎冠者の持っている太刀を杖にすりかえて逃げてしまいます。朝起きて、太刀が杖にすりかわっていることに気が付いた太郎冠者は、主人に物の成上る話をいろいろ聞かせます。「出世をする時には必ず物が成上る」と言って「ご主人の太刀がこのような杖に成上がりました」と誤魔化そうとするが、叱られてしまう。
みどころ
太郎冠者が物の成上る話をして誤魔化そうとするところがポイント。「山の芋が鰻になる」とか「雀が海に飛び込んで蛤になる」とか、果ては「嫁が姑に成上るのは早いものだ」などとどうでも良い事まで喋りだす。太郎冠者は成上る話で誤魔化そうとしながらも、内心では「もしかしたらこの杖が、太刀に成上らないかなあ」とちょっと思っているのです。主人に見つからないように杖を見ては、「まだお太刀にならぬ」とつぶやいてばかりいます。でもやっぱり主人に叱られてしまうのです。
はっきり言って、この曲で笑いを取るのはとても難しいです。頭では分かっても、見ていてもやっていてもどこが面白いのかさっぱり分かりません。眼がさめて「ああー」と伸びをしたところで笑いを取ってしまった私は、未だに何が面白かったのか分かりません。
うんちく
この曲は和泉流と大蔵流では演出が大きく異なります。和泉流では鞍馬寺の初寅の日に参拝に行きますし、なりより叱られた後に、通りかかった男の太刀を奪い取ろうとします。「太刀奪」の後半部分と同じです。そのため、物の成上る話はある意味どうでも良くなってしまいます。千五郎家でも和泉流のように太刀奪を引っ付けた演出をしたりもしますが、「太刀奪」や「真奪」があるにも関わらず後半部分を足すのは、本曲の面白さを損なうものだと私は思います。どたばた部分がある方が笑いが取れますが、プロなら太郎冠者の言葉どおり「面白・可笑しゅう、申し成いて」欲しいものです。
文:佐渡のきつね
公演情報
'98 4/29(水・祝) 三大学狂言会(春の会)
於 京都・八坂神社能舞台