『大名』と『小名』

              木村正雄

 狂言の分類に「大名狂言」と「小名狂言」と言うのがある。 「大名狂言」が大名をシテ(主人公)とする狂言、と説明されているのに、「小名狂言」は小名をシテとする狂言、 とは説明されていない。期待に反して、太郎冠者をシテ(主人公)とする狂言と説明されている。 これは大蔵流の話で、和泉流では「小名物」はなくて、太郎冠者が活躍する狂言は「太郎冠者物」として分類している。 それでは、何故、大蔵流では「小名狂言」という分類がなされているのであろうか。勿論、小名がシテの狂言もない訳ではない。 不奉公物としても分類され得る『富士松』『文蔵』『二千石』『武悪』などがそれだが、 不思議な事に「大名狂言」の分類の中に存在している。成る程、右の四番の主人役を大名の姿で演じても違和感はない。 そうすれば、小名がシテでなければならない狂言というものは存在しなくなる。
 又、「大名狂言」の中に太郎冠者がシテの狂言『茫々頭』が入っている。 和泉流では、太郎冠者の働きの少ない狂言である『文蔵』『鬼瓦』を「太郎冠者物」に入れている。 分類というのは、大体そんな物だ、と言われればそれまでだが、不明朗極まりない。 本来、大名は「平安時代・鎌倉時代、大きな名田を所領としていた在村領主(『広辞苑』@)」であり、 「南北朝・室町時代、管国を自分の私有化した守護(守護大名)(同上A)」とか 「戦国時代、広域にわたる支配領域を持つ領主(戦国大名)(同上B)」ではない。 小名というのも「中世、比較的小さな名田を所領とするもの(『広辞苑』@)である。
 狂言の装束を見れば、大名・小名と呼ばれている主人の違いは良く解る。 大名の装束は洞烏帽子に紅白の段熨斗目、長の素襖(襖)である。 小名の装束は、横段の熨斗目に長裃の姿である。類似物に「脇狂言」に登場する果報者は、 大名と同じで、帽子が洞烏帽子ではなく、侍烏帽子になる。 その上、和泉流では『宝の槌』の主人は小名であるが、大蔵流も嘗ての鷺流も大名でする。 『隠笠』の主人も果報者・小名のどちらでも良いとされているが、果報者で演ずると侍烏帽子が邪魔になって笠が被れない。 『末広がり』などは、果報者の姿が最適だが、本来は、果報者は小名の姿ででも演じていたのでは無いだろうか。
 因果応報から出た果報者は、大名や小名とは職種の違った、一過性の(時には恒久的な)大商人の感じが強い。
 所で、この原稿を書く前に、新作の狂言を一つ書いた。『大洞弁天』と言う作品である。 この大洞弁財天堂というのは、彦根の大洞山長寿院にあるお堂で、八臂の弁財天が祀ってある真言宗の寺院である。 その隣にある阿弥陀堂内には、彦根藩内の古城主二百三十七人の霊を弔うため、 背面壁に金文字で戒名・俗名を書いて奉納されている。これは藩の力で専門に調査した物であるから、 この種の資料としては最も信頼出来る物である。 その中には、長浜城主として太閤秀吉公の名を筆頭に八十七人の城主と百二十八人の屋敷主の名前が記入してある。 「屋敷主」と言うのは「館の主人」と言う事で、召使の冠者一人二人を持った小名と考えられ、「城主」は大名と考えられようか。 それでも山の城を持つ者は、佐和山城主・磯野丹波守、竜円山城主・名字不知ぐらいで、 後は例えば、島川村城主・矢守壱岐守、島川村屋敷主・喜多川弥介とあるように、 城主・屋敷主とも余り変わらなかったのではないかと思われる。 と言う事は、狂言に登場して来る大名も、小名も余り違いはなかったと言えるかも知れない。
 装束の違いが大きいために、大小の格差を大きく取ってしまいがちだが、 果報者の装束が大名の装束に似ている所、又、必ずしも大名で演じなければならない役や、 小名で演じても左程違和感がない物などが多い所や、 大名が「……か様に過は申せども、召し使う者は、太郎冠者只一人、……」であったり、 小名が「太郎冠者・次郎冠者を呼び出だ」す様に、二人の召使を持っている事からも傍証出来る。
 という事は、狂言において大名として登場して来る役柄は、批判し弾劾すべき為政者の象徴であったり、 代表であったりの階級ではなく、大名も小名も果報者も太郎冠者も、 単なる笑いを引き起こす素材としての庶民階級の登場人物であるに過ぎないとも考える事が出来そうである。



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