『太郎冠者と御伽衆』
木村正雄
能の『花月』や『百万』で一目見るや否や「子」であり「母」であると父や子が告げれば、これらの能は見どころを演ずる事も無く終演する。「狂い物」の能にはその意味で構成に少々無理がある様で、『高野物狂』では相手を認知しながらも、「思ふ子細の候へば、先づ知らぬ由にて言葉を掛けて御覧候へ」と構成上の無理を言訳し、「クリ・サシ・クセ・中ノ舞」を引き出している。狂言の『枕物狂』になると、「恨めしや、とくにも出せ給ひたらば、斯様に老いの恥をば曝さじ物を、あら恨めしや」と正直に構成の無理を認めている。
このような事が「狂い物」の能にのみ現れるのであれば、「狂女物の通弊ともいふべき、狂女がわが母である事に気付きながら直に名乗らない欠点」(『謡曲大観』百万の概評―佐成謙太郎)と無視しても良いが、狂言では「狂い物」の他にもこの様な曲が沢山ある。
脇狂言の『末広がり』では、扇の代わりに傘を買って来た太郎冠者が、得々と注文に合っているのを説明するのを、果報者は「何を申すか承ろうと存ずる」と聞き手にまわって居る。「和泉流」で「不奉公物」と呼ばれている『二千石』『竹生島参り』『文蔵』『富士松』『茫々頭』等では、無断欠勤に腹を立てた主人が、太郎冠者が出掛けて行った土地の情報を得たい為に怒りを解いてしまう。その変形は『千鳥』『栗焼』『抜殻』『空腕』にまで及び、アド役は、むしろ太郎冠者の話に期待をしている節さえ感じられる。積極的に咄させる側と懸命に咄す側とが出来る。咄す事で伽をする訳であり、咄させる事によって、伽をさせている訳である。
「中世文芸と民俗」の桑田忠親氏の『お伽衆・御咄衆』には「貴人の側近に侍して御相手を勤める、つまり、お伽をする事は、室町時代になっては、武家・相侶・公家社会を通じて、かなり広く行われていた」とあり、大内義隆や武田信玄・毛利元就等が職種としての御伽衆を持っていたとある。勿論、」一芸に秀でた者が、その体験を通して咄す話が尊ばれたが、天下泰平の徳川秀忠や家光の時代になると、各土地土地に精通した者が制度化された職能として御伽衆になっていた様である。現在各地に残っている民俗芸能の中にも、信州新野の「雪祭」の『街道下り』や奥三河遠山の霜月祭の『神太夫』『姥』・花祭の『ひの祢宣』・奥州毛越寺の延年『京殿有吉』等に見られる、遠来の旅人を神と見立て、他国の話を聞く事の願望を芸能として残している物は多い。遠来の旅人が村人に伽をする訳である。
閉鎖的な政治習慣や伝達手段の未発達による情報不足の時代に、少しでも未知に遭遇したい人々の気持ちは、為政者も被為政者も同じ事であった。咄させ、演技させるのは、演劇的構成より以前の必然的欲求の結果であったと見ることが出来、それゆえに、一見無理と思われる構成が、能や狂言に取り入れられているのであろう。
狂言の太郎冠者は主人に対しては典型的な御伽衆であり、御咄衆であった。その事を下敷きにしてこそ『空腕』の主や『末広がり』の果報者、更に『蝸牛』の山伏や『高野物狂』の子方・『花月』の脇(父)の態度が初めて納得出来るのである。
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